手段と目的の倒錯関係

いわゆる「本末転倒」と言われる状況に陥る時というのは、目先のことに囚われてしまっている可能性が高い。「何のために」ということを常に問い直していかないと、人間は目の前にある小さな満足を求めてしまいがちだ。例えば英語を勉強する場合、あくまで言葉は意思疎通の手段なのでいかにそれを使えるようになるかが重要になってくるわけだが、勉強を進めるうちにTOEICだとかTOEFLだとかの点数を取ることに執着し、高得点を取って満足してしまう、というのは往々にして有り得る。勉強を進めるうちにいつしか本来の目的は薄れ、「高得点を取る」という小さな満足を追い求めた結果、手段と目的が倒錯してしまったケースと言えるだろう。

前回、ものづくりが主である会社における自分の置かれている状況についてやや悲観的なことを書いた。振り返ってみると、自分も上に書いたような過ちを犯していたのかもしれないということに気づく。自分の言う「価値を創造すること」とはつまり、「もの」を自らの手で作ったり新たな「技術」を生み出したりといったことを指していたのだが、そもそも「もの」や「技術」は何かを実現する手段でしかない。それらは単体で価値を持つのではなくて、何かの目的を達成するために使われ、使った人が満足を感じた時、初めて価値が生まれる。価値は「もの」や「技術」に付随しているわけでは決してない。

特に、新しい「もの」や「技術」は何かそれだけで価値を持っているかのような錯覚を抱かせる傾向が強いが、それらが使う人にとってどんな価値を提供できるのかが一番重要なことであって、ただ生み出しただけでは自己満足に近いと言える。新たな「もの」なり「技術」なりを創り出す時は、目の前に乗り越えなければならない課題が連続してやってくるから、どうしても克服し完成させることが目的となってしまう。しかし、極論を言えばそれは手段が目的化しているにすぎない。そして、不幸なことにこうして生み出された「もの」や「技術」は使う側からすると価値を見出しにくいものになってしまうという結果を引き起こすことが多い。

こうして考えてみると、自らの置かれている立場の役割というのが自ずとはっきりしてきたような気がする。ものづくり主体の会社である以上、どうしても作る側の視点で物事を捉えてしまうケースが多い。であるがゆえに、直接作る側にはなれない今のポジションにおいては、徹底的に使う側の視点で考え行動し、手段の目的化を防ぐこと。それが結果的に「使う側=顧客」の満足につながり、ひいては会社の利益につながっていくのではないか。世のビジネス書などでは「顧客志向」だとか「マーケット・イン」だとかいう言葉によってあらわされているこうした仕組みが、ここ数日の業務を通じて身を持って実感することができたのは非常に幸運だった。