全て良し、ということはないけれど

オリンピック男子サッカー、対ガーナ戦、見事に勝利しましたねー。戦前僕は友人に「ピリッとしない結果になる予感がする・・・」なんてことを言ってしまっていたのですが、予想を良い方向に裏切ってくれました。さすがにディフェンス陣は集中していたし、中盤から前にかけても結構スムースに展開できていたと思います。中でもオリンピック初出場の菊池と石川の動きが目立ちました。あとこの試合唯一の得点をとった大久保は、この大会を通して最も安定して「怖い」選手になれていたんじゃないでしょうか。A代表に最も近いのはやはり彼なんでしょうね。


たぶんこの3試合の結果をどう捉えたらよいか、についての議論は至るところでなされているでしょうし、これからしばらくの間はサッカー好きの人間たちにとって一番の議題になることでしょう。正直、トーナメントに進出できなかったのは非常に残念だし、やり方によっては違った結果を出せる実力を持ったチームだった、との思いを捨てきることのできない人も多いと思います。ただ、サッカーに限らずスポーツというものは常に良い結果が出るわけではありません。勝利と敗北は表裏一体の関係にあるもの。今大会のような悔しい思いを抱くことがあるからこそ、勝利したときの喜びがまた格別なものとなっていくのです。


それは決して選手達にとってだけではありません。観ている僕たち、サッカーを好む人々全てにあてはまることなのです。負けを引きずり続けることは確かに避ける必要があるでしょう。でも無理矢理それを「経験」という言葉に閉じ込めて忘れ去ることも、同じ過ちを繰り返さないために避ける必要があると思います。「悔やむこと=マイナス思考」といったように思われがちで、随分と忌避される傾向があるように見えますが、一方でプラスの方向の力を生むためにはマイナス方向の力が必要なわけで、ならば今はあえてその悔しさに、無念さに身を委ねてみてはどうでしょうか?そして、その思いが落ち着いてきた時はじめて顔あげて新たな道を模索していけば良い、と。


でも、はっきり言ってそんな思いに身を委ね続けるのは決して気持ちの良いものではないから、結局すぐに「ああしなければ」とか「あれは絶対に必要」とかいったことを考え始めてしまうんですけどね。要は気持ちの持ち方の問題。時に後ろ向きになってみるのも、前を向き続けるためには必要なんじゃないかな、ということが言いたかったわけです。