オリンピック前におとずれた歓喜

数々の名勝負が繰りひろげられたユーロ2004、優勝したのは開催国のポルトガルではなくギリシャでした。


彼らの成し遂げたことは素直に賞賛したいと思います。ただ大会を通じた実感として「ギリシャが強かった」というよりもフランスやスペイン、チェコそしてポルトガルといったいわゆる強豪国が「ギリシャを崩せなかった」という印象が強かったことは否めません。多くの人はギリシャのサッカー‐タフな選手を11人揃え堅固なディフェンスブロックを構築して相手の攻撃を跳ね返し、少ないチャンスで得点を狙う‐に対してどこか素直に受け入れられない、そんな思いを抱いているのではないでしょうか。それは逆に言えば、「理想的なサッカー」、「美しいサッカー」、「攻撃的なサッカー」といったものがどこかでギリシャのサッカーを乗り越えてくれるだろうといった願望があったということ、その表れであると言えると思います。しかし結局最後までその思いは裏切られ続けるという結果になったわけです。


そんな大会を見続けた僕はサッカーというスポーツが持つ基本的な特徴を改めて確認させられました。それは「90分の中で1点とるのは相当に難しい」ということ。多くのチームはこのテーゼに対してなんとか得点しようと必死になって攻撃を繰り返すわけですが、それでもなかなかゴールすることはできない。特に引いた相手をこじ開けるのは至難の業です。得点を取るためには多くのプレーの実行とともに、やはりどこか運や偶然性といったものが必要になってくる。そしてそれらを引き出すためにどれだけ意思を持ったプレーをあきらめずに継続し続けることができるか、そこが勝負の別れ目になってくるのです。といって運や偶然性といったものはそうすれば必ず手に入るものではなく、事実1点が取れずに泣いたチームのほうが多い。だからといって怠惰なプレーに終始し、ゴールを望むことをやめ、それにむかって努力することを怠ったチームに運や偶然性がもたらされることは決してない。この微妙なバランスの中にサッカというスポーツのゴールは位置付けられているのです。


この文脈からしてみればギリシャが優勝することができた要因の1つにはどのチームよりも選手一人一人がチーム戦術を完璧に理解した上で、それを実行するために意思を持ったプレーを最後まで継続し続けることができていたこと、を指摘することができると思います。もちろんそれは最初から持っていたというわけではなく、試合をこなし結果がついてきたことでコンセプトが再生産され、それをチームの中で再確認することでより強固なものへと成長させていくというプロセスを経ているのですが、もともとそういったことを可能にするポテンシャルを有していたこと、そしてそのポテンシャルを最大限に引き出した監督の手腕というものも見逃せない要因でしょう。いずれにせよ、選手全員が高い意識を持ち続けてそれを実行し続けることができたからこそのこの結果だと思います。準々決勝からの3試合はすべて1‐0での勝利、というところに今大会のギリシャサッカーのコンセプトが見事にあらわれているのではないでしょうか。


といって他の国がダメだった、ということは決してないと思います。ポルトガルは最後まで必死に勝負していましたし、他にも好チームはたくさんありました。むしろ各国のレベルの差は少なくなってきているな、というのが正直な感想です。その中でもギリシャが優勝できたのはチャレンジャーとしての立場にあったからではないでしょうか。最後まで失うものは何もない、フロンティア精神で試合をすることができたのは大きかったと思います。一方で今回でチャンピオンになったのですから、これからもギリシャが今大会でやったようなサッカーを続けるのかどうか、それは興味深い点になってくるでしょう。


ユーロ2004が開催されている20日間あまりの期間は、サッカーというスポーツの持つ奥深さにあらためて魅了され続けたものとなりました。本当、見ていて楽しい大会だったと思います。今後は日本に関心をもどしてアジアカップ、そしていよいよアテネオリンピックです。