感謝は当然のこととして

誰に一番迷惑をかけたかと言えば当然のことながら両親である。わざわざ詳しく説明する気はないしする必要も無いと思うが、身の周りの世話や食事、治療に必要なものの購入から精神面でのケアに至るまで多くの負担を強いてしまった。回復してきた今になっても僕は毎日特別何するでもなく自分のやりたいことをやりたい時にやりたいだけやるという事情を知らない人からすれば「怠惰」として言いようのない生活を送っているのにもかかわらず、理解してくれているようで何も言わずにいてくれる。

赤裸々に我が家の事情を一つ告白すれば、両親と結婚している兄(とその妻、つまり僕の義姉)の関係はもう長いこと冷え切った状態にある。こうなってしまったのには色々な経緯と理由があって、簡単に言えば両者の「価値観の違い」ということになるのだが、僕からしてみれば兄の言動には全く賛成する気にはなれなかったし、全ての原因は義姉にあると思っていたから親の味方をしているうちにいつしか兄からの連絡は途絶え、もう1年になる。

雨降って地固まる、と言ってしまうと随分とネガティブな印象になってしまうが、そんなわけで今年を迎える頃には両親と僕の関係は以前よりも随分と密なものになっていた。と同時に僕は事実上兄がいなくなってしまった以上、兄の代わりに今までよりもより具体的に親の今後のことを考えなければならないかもしれない、などとあれこれ考えてしまって、ただでさえ就職活動という全く先の見えない状況にあってストレスを感じていたにもかかわらず、それが見えない重圧になって自らの体が変調を来たしているのに気付きながらも無理をしてしまった結果、体も心も限界に達してしまったのだった。

僕が特に申し訳なく思っているのがこんな風にして自分勝手に思いつめてまるで自分で自分の首をしめるような形でダウンしてしまったことである。親からしてみれば兄の役割を代わりに果たせなどとは一言も言っていないしそもそも僕にそのような期待すらしていなかったかもしれない。それなのに僕は勝手に思い込んで勝手に苦しんで勝手に倒れてしまったのである。残念ながらこれは「親思い」などという奇麗な言葉で表現されるような行為ではなく、気持ちはありがたいけれどやってもらうのは結構です、といった「ありがた迷惑」と言える何とも自己中心的な行いだと言える。

僕が倒れた時、心情を察したのかどうかはわからないが、父はこう言った。「そんなに自分を追い詰めるな」と。僕はこの言葉によって救われ、大きなリスクを背負いながらも引きこもって治療に専念するという決断ができたと思っている。一方で体調の悪化というやむを得ない事情だったとはいえそのような決断を下したこと、そしてより時間もお金もかかる治療法を選択したことについて親はどう思っていたのだろうか。今となっては改めて聞くほどのことでもないが、それにしてもこうして療養生活が始まる瞬間から今に至るまで一貫して迷惑をかけ続けてしまい、さらに全てを引き起こした原因が自分の責任だったのは明らかなことだったから、僕は両親に対して感謝以前にまず申し訳なさと情けなさとが入り混じった何とも言いようのない気持ちを抱いてしまうのだった。