捉え方一つ

最近「おもしろき ことなき世に おもしろく」という言葉の奥深さを改めて感じている。自分次第で目の前にある世界はいかようにもその姿を変える。

何事も捉え方一つで良い方にも悪い方にも取ることができる。一見退屈なことでも少し考え方を変えることで、意外なおもしろさを発見することだってある。例えば、アマチュア無線の試験を受けなければならなくなったとして、全く興味の無いことの勉強を強いられると捉えるか、これまで自分が触れることのなかった世界を知ることができる機会と捉えるかによって、勉強のやり方や効率も大きく異なってくるだろう。これはやや極端な例かもしれないが、いずれにせよ、受け身の姿勢では隠されたチャンスを見出すことはできないし、今の自分が満足する範囲でしか物事を捉えられなくなってしまうように思う。

物に溢れた豊かな社会で生活していると、気づかないうちに受け身でいることに慣れてしまう。待っているだけで楽しいことやおもしろいこと、美味しいものやきれいなものがやってきてくれるからだ。それは決して不幸なことではないだろう。ある面では「恵まれている」と言えるかもしれない。しかし、こうした状況に慣れきってしまうと、何でもかんでも待っていればやってきてくれるように思えてしまって、自ら動くということを忘れてしまう恐れがある。自ら動く姿勢を忘れるということは、その人の秘めた潜在的可能性がゼロに近づいていくことを意味する。

僕はそれが「もったいない」と考えてしまうわけだ。ある物事に対して、つまらないだとか退屈だとかいう言葉からは何の価値も生まれない。であるならば、おもしろくしてみようと考え動いてみること。自ら考え動き、新たな価値を見出すことができたとき、ただ漫然と生きているだけでは感じることのできない高揚感を得ることができる。それが結局、次のステップへと進もうとする意志を生み出してくれるきっかけとなり、新たなモチベーションが生まれる。極論を言えば、最初からおもしろい世の中なんてない。自分が世の中をおもしろくするのだ。