通院生活

通っている病院は石川町にある。治療開始当初は電車に乗れるような状態ではなかったから、かなりの間は車で(しかも最初のうちは親に運転を頼んで)通っていた。電車で通院できるようになったのは六月の中旬を過ぎた頃であったのだが、あくまでこれもリハビリの一環だと思って自らの意思で決断した。

駅を降り改札を出るとすぐに商店街がはじまる。石川町といえば元町通りを思い浮かべるけれどこの商店街は元町通りからは離れているからいつも人が少ない。いたとしても近くにある女子学校の生徒たちばかりで決して活気のある通りであるとは言えない。でもその通りを3分ほど歩いたところに病院の入ったビルがあるから、最短距離で行くために仕方なく通りぬける。

ビルの4階に病院はある。いつも僕はここで4階まで上がるのに階段を使おうかエレベーターを使おうか迷うのだが、4階の踊り場から見える景色が結構きれいなこともあって結局階段を使うことになる。ただ景色といっても実際は道路をはさんである元町通りの入り口と山の上にある女子学校の校舎がちらりと見える程度で、人を惹きつけるほどのものではないから階段を選ぶ本当のところの理由は僕もよくわからない。

個人病院だから中はそこまで広くない。時間帯によっては非常に混むことがあって、特に午前中しか診察のない土曜日などは患者で溢れんばかりになる。一度その混雑を経験して懲りた僕はいつも朝一番か午後一番に行くことにしていたから、中はそんな状況があるとは思えないほどがらんとしている。

診察券を出そうと窓口に行くといつも同じ看護婦の人がいて事務的な笑顔で待ち構えている。あっちが事務的だから僕も事務的に診察券をだすと、やっぱり彼女は事務的に受け取り事務的に処理する。僕はその後ソファーに事務的に座り持ってきた本を事務的に開いて自分の名前が呼ばれるのを事務的に待つ。そこでは全て事務的に行われなければならないように思え、実際事務的に行われる。

診てくれる先生は非常に豪快である。決して事務的に診察を行うようなことはなく、しっかりと患者の話を聞いてくれるし受け答えしてくれるのだが、大抵その問答は先生が勝手に方向づけして毎回似たような内容になるから悪く言えば繊細さに欠けるとも言える。でも僕はそんな先生が決して嫌いじゃなかったから通い続けることができたし、毎回注射を受けることにも耐えることができた。豪快さは頼もしさにも通じるのである。

診察を終えるとあとは料金を払うばかり。例の事務的な看護婦に呼ばれるのを待ちながら僕は事務的に料金を用意する。頻繁に通いつめた結果、診察内容によって料金がわかるほどになっていたから僕は細かいところまでぴったりにお金をそろえることができて、そのおかげで彼女に負けないくらい事務的に料金を払うことが可能だった。ただそんな彼女でも「お大事に」と言うときだけはいくらか感情が入るように思え、僕はそこで少しホッとする。

外に出れば同じ景色が僕を待っている。同じ階段を下りて同じ道を通り同じ電車に乗って家に帰り、2日後にはまた同じ道筋で病院へと赴くのであったが、電車に乗れるようになるまで家の中に引きこもっていた僕はこうして道すがら観察できることに少なくない喜びを感じていた。